原行弘先生
このサイトのリハビリテーションの項目は、平成28年9月18日にご逝去された原行弘教授にご指導いただきました。
私が原先生に初めてお会いしたのは、2001年当時慶應大学リハビリテーション科教授でいらした千野先生とともに、日本医科大学千葉北総病院の視察にいらっしゃった際、ご案内した時です。その後リハビリテーション科部長ご就任された原先生は、施設基準を整備するなど精力的に日本医科大学のリハビリテーション体制を改革されました。当時私は脳神経外科と共に脳卒中チームに従事しており、入院患者ほぼ全例、原先生達に診療をお願いしていました。当時はまだ珍しかったかもしれません、入院翌日にはリハビリテーション科が介入して、重症患者でも関節可動域訓練が始まっていました。早期のリハビリテーション介入で、こんなによくなるのか驚いたことを覚えています。
日本医科大学千葉北総病院が脳卒中地域連携パスを開始するときは、何度も相談に乗っていただきました。そして、印旛脳卒中地域連携パス、千葉県共用脳卒中地域連携パスの完成に至りました。特に、回復期リハビリテーション病院が必要な情報が何か、どういうスケールを使うべきかなど、パスシートの具体的な項目についてご指導いただきました。
私の武蔵小杉病院異動が決まってからは、リハビリテーション処方の回診見学をご許可いただきました。患者を診察しリハビリテーションを処方する基礎や、教科書にはないtipsをたくさんご指導いただきました。この時書き留めたメモは、Microsoft OneNoteに整理し、今も携帯・iPad内ので常時閲覧しています。これに、神経内科や他のメモも加えたものが、今回公開するサイトに掲載されます。
私が原先生に初めてお会いしたのは、2001年当時慶應大学リハビリテーション科教授でいらした千野先生とともに、日本医科大学千葉北総病院の視察にいらっしゃった際、ご案内した時です。その後リハビリテーション科部長ご就任された原先生は、施設基準を整備するなど精力的に日本医科大学のリハビリテーション体制を改革されました。当時私は脳神経外科と共に脳卒中チームに従事しており、入院患者ほぼ全例、原先生達に診療をお願いしていました。当時はまだ珍しかったかもしれません、入院翌日にはリハビリテーション科が介入して、重症患者でも関節可動域訓練が始まっていました。早期のリハビリテーション介入で、こんなによくなるのか驚いたことを覚えています。
日本医科大学千葉北総病院が脳卒中地域連携パスを開始するときは、何度も相談に乗っていただきました。そして、印旛脳卒中地域連携パス、千葉県共用脳卒中地域連携パスの完成に至りました。特に、回復期リハビリテーション病院が必要な情報が何か、どういうスケールを使うべきかなど、パスシートの具体的な項目についてご指導いただきました。
私の武蔵小杉病院異動が決まってからは、リハビリテーション処方の回診見学をご許可いただきました。患者を診察しリハビリテーションを処方する基礎や、教科書にはないtipsをたくさんご指導いただきました。この時書き留めたメモは、Microsoft OneNoteに整理し、今も携帯・iPad内ので常時閲覧しています。これに、神経内科や他のメモも加えたものが、今回公開するサイトに掲載されます。
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